2010年10月16日(土)-10月21日(木) 

五味良徳 個展
-revelation-

open:13:00−19:00(最終日は 17:00まで)  会期中無休
10月16日(土)17:00- オープニングパーティー

    

五味良徳 略歴

1967年   山梨県生まれ
1995年   多摩美術大学大学院美術研究科修了
1999年   ホルベインスカラシップ奨学生


個展
1998年   ギャラリィK (東京・銀座)
1999年   ギャラリー山口 (東京・京橋)
2001年   田中画廊 (東京・日本橋)
2002年   ギャラリィK 
2003年   フタバ画廊 (東京・銀座)
2004年   フタバ画廊
2005年   ギャラリー山口
2006年   フタバ画廊
2007年   フタバ画廊
2008年   フタバ画廊


グループ展
1994年   「WORKS,4人の場所から」
        世田谷美術館区民ギャラリー (東京)
        EX+展 千葉県立美術館一般展示室(千葉)
1997年   「視そらし」展  真木・田村画廊 (東京)
2001年   「思考する線2001」 ギャラリィK
2003年   「京橋メロン堂」 ASK? (東京・京橋)
2004年   TRINPIC展  StudioZone(東京)
2006年   年末小品展  ギャラリー山口
2007年   年末小品展  フタバ画廊 
2009年   curtain call展  フタバ画廊


古代中国の禅の公案にある話。禅師である趙州和尚は、「達磨大師が西方より来た意図は何か?」という弟子の問いに、ただ「庭にある柏の樹だ」と答えた。困った弟子が「例え話で、はぐらかすのはやめてください」というと、「私は例え話などしていない」と返し、あらためて弟子が同じ問いを繰り返すと、再び「庭にある柏の樹だ」と答えたという。
 このくだりには眼からウロコが落ちた。
 よく、作家は観客から「この作品の意図は何ですか?」と聞かれる。作家によって考え方はさまざまであろうが、一般的には、作品の意図は「この作品を観て、何がしかの感動体験を得てもらうこと」となるであろう。
 そして、その感動体験は「これこれこういうもの」というふうに言語化しても意味はないものなのだから、意図とはとどのつまり「目の前にある作品です、なので作品を観てください」ということになる。
 そうなると、そのとき作家がいう「目の前にある作品だ」という答えは、さきの趙州和尚の「庭にある柏の樹だ」という答えと、質的に相似ているのがわかるだろう。作品の意図に関するやりとりは、まさに禅問答である。
 作品を観るということは、じつは作品に対して「納得できる答えが期待できないような問いを、あえて問い続けること」なのではないか。わかりやすい答えが最初からご親切に用意されているような作品は、そもそも“作品”の名には値しないのかもしれない。

五味良徳


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